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2019

  • 2019年12月09日(月)

12月7日(土)正午より恒例の関東地区合同忘年会(東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城)が横浜中華街金香摟にて開催されました。参加人数は30人。当日はあいにく午前中小雨がぱらつき気温も低く、あまり天候には恵まれませんでしたが、その分、会員の温かい心意気で互いの懇親を深める場となりました。

最初に菊山孝昭常任理事(語22印)からこの合同忘年会の意義や大切さについての挨拶がありました。引き続き国文学、漢学に造詣深い秦孝志茨城支部長(大7国)の漢学にまつわる栃木の町おこしの紹介に始まる乾杯の音頭で宴会が始まりました。
また、フィリピン・パンダンで長年にわたり、水道建設事業(ボランティア活動)の現地責任者としてこの事業に携わってきた岩田芳晴氏(大10英)を主人公とした映画が制作され、現在全国各地で公演されていますが、このことについてご本人から直接この事業や映画についてのコメントがなされました。
さらに宮原章次氏(大17英)による「空手の演武」が披露されました。同氏の妙技は申すまでもなく、その鍛えられた身体には皆が感服。拍手喝采を浴びました。

閉会の辞では上田和興千葉支部長(大12英)から、世界が互いに信頼し平和を構築してゆく大切さについて話がありました。最後に関東地区では周知の「天理なんでも応援団長」の今西敏一氏(大23西)のエールで「逍遥歌」の合唱をもって閉会いたしました。(大16仏 谷徹也 記)

  • 2019年12月06日(金)

2019年度海外研修報告書を掲載しました。 詳細および2020年度の海外研修生募集については、トップページ下方の「海外研修制度」のバナーからアクセスしてご覧ください。

  • 2019年12月02日(月)

令和元年11月17日(日)名古屋大教会を会場に、第31回愛知支部総会が開催された。
総会に先立ち、新制天理大学70周年特別対談があり、「創設者の理念に思いを寄せて」をテーマに、飯降政彦天理大学前学長と森井敏晴ふるさと会顧問(大1宗)のお二人を迎え、太田登ふるさと会会長(大19国)の司会で進行された。
飯降氏は6年間の学長経験の上から、「大正14年、中山正善二代真柱様が『天理外国語学校』創設され、昭和24年に総合大学『天理大学』となっても、一貫して天理教の海外布教が『建学の精神』である」と熱く語られた。森井氏は第1回の卒業生として「入った当時は真柱様の大学というイメージを抱いていた。二代様が出直された昭和42年のお話に『天理外国語学校』の創設時の思いは今でも昨日の如く思い出されると語られたことは遺言のように思う。私たちもその思いを持たねば」と会員たちに問いかけた。 愛知支部の会員をはじめ東京・埼玉・神奈川・兵庫・山口の他支部会員、また一般の聴講者併せて50数名一同は、魂をゆさぶる対談に終始聞き入った。
その後、神殿玄関前にて全員で記念撮影。その間支部長の関係する映像会社KK・アルバがドローンを飛ばして上空からも撮影した。

引き続いて会議室にて総会が開催された。西初晴支部長(大29宗)、太田会長、菊山孝昭常任理事(語22馬)の挨拶のあと、「特別対談」を聴講した他支部の会員の紹介が行われた。殊に天理時報で既報の、映画『セカイイチオイシイ水-マロンパティの涙』の現地の責任者のモデルとなった、神奈川支部の岩田芳晴氏(大10英)に盛大な拍手が送られた。会場である名古屋大教会の会長でもある森井晴生副支部長(大35宗)が閉会の辞を述べた。

境内地の木々が紅葉に染まる中、旧教祖殿(河原町大教会旧教祖殿を移築)を拝したのち岐阜県高山市の古民家を移築した教職舎「こふき亭」にて懇親会が持たれた。家田副支部長(大7西)の乾杯で始まり、名古屋大教会婦人会・女子青年のおもてなしを受けた。宴たけなわの中、吉川萬太郎前会長(大11宗)の熱烈な苦労話に感銘を受けつつ、締めに恒例の逍遙歌を浅井会員(大22宗)のリードのもと全員で肩を組んで高らかに斉唱し解散した。(大17国 堀田)  

  • 2019年12月01日(日)

母校ラグビー部は11月30日、 たけびしスタジアム京都で、京都産業大学との最終戦に50対12で勝利し、リーグ戦全勝で4年連続11度目の優勝を飾りました。
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  • 2019年11月19日(火)

令和元年11月10日午後1時より塩尻市の天理教長野教務支庁において長野支部総会が開催された。
はじめに飯降政彦前学長より『未来の育成』と題して講演をいただいた。続いて行われた総会では会本部より出席いただいた木下民生副会長より天理大学の現状をお聞かせいただき、その後質疑応答の時間が持たれた。2025年に創立100周年を迎える母校天理大学に、支部として、卒業生として何ができるのか、懇親会、二次会、三次会にまでおよんで建設的な議論が交わされた。
出席者は27歳から84歳までの22人であった。(支部長 萱間元一 記)

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