2025年3月9日

庭の梅花が例年より2~3週間も遅れてやっと満開となった3月9日、佐伯、石川の両君を別府駅に迎えた。コロナ禍以来5年ぶりの邂逅である。
まず訪れた「海地獄」は折しも快晴の日曜日とあって大混雑。殊に聞き慣れぬ甲高い話し声でそれと分かる東南アジア系の人が多い。私たちは記念写真を撮る間もなく、早々に退出した。
「ホテルリゾート゚ピア別府」は緩やかな坂道の途中にあり、6階の窓からは広大で波静かな別府湾が一望される。湾の向こう側には大分市のコンビナートが見晴るかされ、右手前には野生猿の高崎山の裾が湾に切り込んでいる。
私たちは、戦後の混乱からようやく脱しようかという昭和30年(1955年)に入学し翌年1月、教祖70年祭を迎えた。そして来年が140年祭と言うから、あれから70年の歳月が流れ、私たちは等しく米寿を迎えたのである。
私たちは卒業して52年後の1982年、全員が還暦を迎えた年に呼びかけあって17~18名がお地場に集合、一夜旧交を温めた後、5年後の再会を約して別れた。そして1987年約束どおり再び天理に集合、今後は毎年開催することとし、寮歌の「新月ここに南差す」の一節から会を「新月会」と名付けた。
以来、各県在住の寮友が持ち回りで世話役となり、宿泊先は勿論観光地巡り、車の手配など2泊のスケジュールを組んだ。しかし、次第に亡くなる友や体調不良の者が出るようになり、還暦に始まった新月会を喜寿で終えることにした。この間、訪れた府県は、およそ次の通りである。神奈川、富山、静岡、北海道、東京、奈良、京都、兵庫、大分、和歌山、香川、愛媛、三重。
その後も近隣の寮友が連絡を取り合って交歓、交流を図っていたが、佐伯、石川両君と私の3人も琵琶湖周辺の寺社、城跡などを中心に毎年旅行を楽しんでいた。それをコロナに奪われていたがこの度ようやく実現したのである。
さて、還暦を迎えた1982年、半世紀ぶりに顔を合わせた寮友たちの現状をお知らせしておこう。
生存者 12名 鬼籍に入る者 15名 生存不明 3名
(平畑)